NPO独自取材

我が国の子どもの貧困問題について思う事

子どもの貧困~こども保険構想から考える

一億総中流社会と言われたのはいつの頃だろう。現在、わが国の所得格差は拡大傾向にある。所得階層での貧困層が固定化している。その結果としての子どもの貧困は、わが国の在り様に対する将来不安の大きな要因となる。子どもの貧困問題を放置することによる経済的損失の推計では、0~15歳の子ども全体の一生涯の将来所得は40兆円失われると試算される。

「恵まれない境遇にある子どもたちに対する投資は、公平性や社会正義を改善すると同時に、経済的な効率性も高める非常にまれな公共政策である」とノーベル経済学者ジェームズ・ヘックマンは言っている。

平成29年3月、自民党若手国会議員で組織される『2020年以降の経済財政構想小委員会』から、『「こども保険」の導入~世代間公平のための新たなフレームワーク構想~』が提言された。提言の背景には、貧困による格差の連鎖を解消していくことが必要だという考え方あるようだ。『子育て世代の負担を減らし、日本社会全体の生産性を高め、人口減少しても持続可能な社会保障』を実現しようと提言している。

制度の具体的な仕組みは、『保険料率0.2%(事業主0.1%、勤労者0.1%)。保険料は、事業者と勤労者から厚生年金保険料に付加して徴収する。自営業者等の国民年金加入者には月160円の負担を求める』としており、その財源規模は、約3,400億円となる。

こうした制度の提言については、その問題提起の思想には共感が得られているようだが、実際に「保険料制度」としていくためには、いくつかの課題提起もされている。①勤労者だけに負担を求める社会保険でなく、全世代で負担を分かちあうことが必要だ。②子どもがいない世帯にも負担を負わせることになる。③保険料額の設定について逆進性が強い。というようなものだ。子どもの貧困の連鎖を断ち切っていく、政策を進めるための財源をどのように確保していくのかが、議論の骨子となっていくようだ。

子どもの貧困を解消するための議論の骨格には、総合的な社会の在りようとそれを支える思想が重要となる。子育て施策だけでない、次世代を育成するための社会制度の確立に向けては、子育ては家庭の責任。女性が子育てをすることが良い。という、固定的な社会観から脱却し、多様な家族や家庭のあり方に応じた社会制度が社会全体として、構想されて行くことがより強く求められている。

子どもの貧困Ⅱ~その具体策は~

6月9日「骨太の方針」が閣議決定された。「世代を超えた貧困の連鎖をなくすための取組を進め、格差が固定化されず、社会的流動性のある環境を整備する」とされている。しかしながら、その実効性を担保する「財源措置」については棚上げになってしまったようだ。財源論の中心には「こども保険」がなるようだが簡単にはまとまっていかないのだろう。

財源論は措くとして、子どもの貧困対策の議論はどう進んでいるのか。平成27年12月に示された、子どもの貧困対策会議決定「すべての子どもの安心と希望の実現プロジェクト」では、いくつかの柱を立てて、その実現を図ることが検討されている。そのうち、①「学校」をプラットフォームとした施策、②学びを応援する施策について考えてみたい。

また、子どもの貧困対策の全般にわたって、具体の施策を担う基礎的な自治体である「市」の施策についても、「ひとり親家庭の自立」支援を進める喫緊の事業として、子育てや教育そして生活に関することから就業についても、ワンストップで相談ができ、支援するような体制の整備も進めていく必要がある。

はじめに、「学校」をプラットフォームとした施策では、「スクールソーシャルワーカーを、5年後に約1万人拡充することにより、教育と福祉・就労との連携を組織的に行い」ということが対策として提案されている。しかし、1万人拡充したスクールソーシャルワーカーだけで対応することができるのだろうか。文部科学統計要覧(平成28年)では、全国で小学校20,601校、中学校10,484校という統計になっている。小・中学校だけでも3万余りの学校があるなかで人的対応は充分なのだろうか。

現状で「学校」をプラットフォームとしていくだけの人的対応がなされるのであればいいが。文部科学省が公表した2016年勤務実態調査によれば、小学校教諭の34%、 中学校教諭の58%が週60時間以上の超過勤務を行っており、1カ月の超過勤務は単純計算で80時間以上となる。これは、厚生労働省が定める労災認定の目安となる「過労死ライン」を超えるものだ。学校教諭の「頑張り」だけでは立ち行かなくなっているのが現状ではないのか。

そうした状況を踏まえて、学びを応援する施策を進めていくためには、学校の持つ資源以外の社会的な資源を投入する必要があるのではないか。現状で、学校や学校設置者である地方自治体等が、子どもの貧困対策としての学びの場を充分に提供することができていないとすれば。公的な支援が遅々として進まないのであるならば。共助としての「地域の力」を集めて、一人一人の子どもの未来を輝くものにすることができるような方策を創り上げていく必要があるのではないか。

もとより、子どもの貧困対策は、子どもたちの学びの機会を確保するだけではなく、経済的・社会福祉的な施策などが総合的に施されることが必要になる。少子化対策を喫緊の施策とするだけでなく、現在の子どもたちの誰もが、幸せだと思える社会への対応を早急に進めていかなければならない。

かまらさん